瀧口修造さんの講演録

シュルレアリスム『瀧口修造の光跡 Ⅰ 「美というもの」』という本を読みました。数頁読み進めると、驚いたとに、私の母校であるT高校の3年生に講演をした講演録が載っていました。瀧口修造さんが同窓であることは知っていましたが(私など同窓であることは、まことに申し訳ないのですが)、地方の高校での講演録が、出版物になっていることに、先ず驚きました。本文中にも、「私は…講演というものを頼まれてもお断りしておりますし、ラジオ、テレビの美術番組なども…一切断っているような始末です。」とあるように、瀧口修造さんは、講演の依頼も、美術番組の解説者も、大学教授の招聘も断っておられたようです。その瀧口修造さんが、こともあろうにあの田舎のT高校で学生相手に講演し、その講演内容が記録されていたのです。
もしかするとご本人は、この講演が講演録となって、出版されるとは思っておられなかったのではないかと思ったりします。なぜかというと、とてもリラックスしておられて、母校の後輩たちに、まるで岩波ジュニア新書のような、「学生に与う」というように、心を許して、柔らかな雰囲気で、ご自身の考えを素直に話されておられるからです。
「私は「美術評論」という仕事をやろうとは少しも思っておりませんでした。」と講演は始まります。先祖代々からの医家に生まれながら、医学の道に進むのを拒み、文学を通していろんなものを知ろうと入学した慶應義塾大学の文科を1学期でやめてしまう。しかし、復学した慶応大文科では西脇順三郎先生と出会い、大いに影響を受ける。シュルレアリスムという芸術運動を知り、新しい詩の創作活動を始める。ここでも、「詩人になろう」とか「小説家になろう」とは考えていなかった、と話しておられます。また、学生時代に翻訳したアンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』が、日本初のシュルレアリスムの文献だったため、美術の分野でシュルレアリスムが盛んになって来るにしたがって、その紹介役を務めなければならなくなったことについても、美術について書くことが自分の職業になるとは夢にも思わなかった、と話しておられます。慶應卒業後、もっと新しい表現の世界へ飛び込もうと思って、映画会社に入り、映画の仕事ですっかり体を壊してしまう。休職中にシュルレアリスムの美術について書いていたら、「美術評論家」ということになってしまった、と苦笑い。
瀧口修造さんは、やっぱりシュルレアリスムでは、第一人者だと思うし、みすず書房の『コレクション瀧口修三』(版元には全巻揃っていないようですが、富山市立図書館は持っています。本屋のくせに全部図書館で借りました)を読むのは大変です。それなのに、一つも威張ったところがなく、そんなたいそうな事をやろうとか、たいそうな者になろうとか一つも思ったことがない、と話しておられることが、とてもかっこいい。「私は「どうしたら自分というものを発見できるのか」ということを、いろいろなことで試してきた」と話しておられるのです。
「私は絵描きさんの友達がたくさんいますけれども、「美術はこうでなければならない」と、あたらに勉強しすぎたために、何十年やってもいい絵が描けないという人を、たくさん見ております。美の「動機」というものがなければ、芸術はゼロに等しいと思います。」と話しておられます。美の「動機」って、何かドン!と突きつけられますよね。「本当に自分の気持ちに触れたもの」「何か自分で発見するもの」。それって、「美」だけでなくて、生きること全部に言えますよね。たとえば、文学の「動機」、本の「動機」、本屋の「動機」…。
そういえば、私の高校3年生の時は、山崎正和さんでした。『鴎外闘う家長』を読んだ後だったので、よく覚えています。

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